条件付き運航。

沖縄行きJAL便に乗ったら、飛行機遅延したの。

那覇空港の滑走路に穴が空いてたらしいよ。なぜに。笑

搭乗できたはいいが、待たされ過ぎて暇なので日記にします。

 

今回の対応はちょっといらっとしてるんだよね。前の便がまだ離陸できていない時点で私が乗る便の遅延は決定していたと思うんだけど、そのアナウンスが遅かったよね。何分遅延するか分からずとも、遅延することだけでも教えてくれんかね。そしたらラウンジとか行けるのにさ。

あとさ、関空着か羽田引き返しになりますっていう条件付き運航のアナウンスはもっとがっつりした方がいいんでないのかなあ。搭乗して初めて知ったって人もいたしさ、私も、ラウンジにいたせいもあるんだけど聞こえなかったしさ。まあ搭乗口にずっといておけばいい話なんだろけどね。

ちなみに羽田引き返しの場合は、一応返金があるらしい。

関空の場合は、那覇空港までの交通費は出してくれるっぽい。

それも含めて早めに言ってほしいなあ( ;∀;)

 

各キャリアがどうだったか分からないけど、JALはこんな感じでした。

 

 

なんかJALの悪口言ったみたいになっちゃった。私はJAL好きですよ。

悪天候の時の遅延のアナウンスは早いし、欠航するかどうかも結構早めに決めてくれるし。悪天の場合は、遅延あるいは欠航見込みが生じた時点で振替対応はしてくれる。機材トラブルもそう。でも今回みたいな、空港トラブルの場合は振り返してくれるか微妙みたい。

羽田空港スカイマーク乗ったときは、ANAJALも欠航を決めている中、搭乗案内をしよったからね。そのうえ機内で2時間座りっぱなしで待たされたからね。あれはしんどかった。笑

 

**

あーお尻が痛い。

今鹿児島を過ぎたあたりだと思うけど、果たして着陸できるのか。

着陸できなかった場合どこ行くんだろ。

燃料補給のため関空寄ってリトライなのか、そのまま関空着なのか、あるいは羽田に行くのか。明日は朝から予定があるのだけど、沖縄は飛行機以外の手段がないからそこが辛いところですね。

 

 

形容できない孤独の中で生きるということ

NHKの大アマゾンシリーズが大好きなのです。

最近放送された「未知のイゾラド 最後のひとり」の録画を見たので、その感想を記したい。

 

あらすじ

あらすじはNHKのHPで見た方が早いんだけど、

アマゾンには未接触部族(イゾラド)と呼ばれる人たちが、何部族かいる。

その中でたった一人だけ残った男を追ったドキュメンタリーです。

 

www6.nhk.or.jp

 

感想

世界で誰とも言葉をできないって、どんな気持ちなんだろうか。

「孤独」を表す言葉があれば、これが孤独だと思うことができるかもしれない。でも、孤独という言葉がない中で一人なのだとしたら、それはどのような気持ちなんだろうか。

彼らの中に宗教はあったのだろうか。死生観はどうなっていたのだろうか。魂を信じていたのか。それも分からない中では、誰もアウラの悲しみにも憤りにも苦しみにも寄り添うことができない。ノンバーバルコミュニケーションを用いても、おそらく100分の1も理解できないのではないか。

人間の表情は、世界のどこでも共通したもの(日本人の怒りの表情が、エスキモーにとって喜びの表情だということはない、みたいな)だと言ったのはエクマン博士だったと思う。だから、アウラの表情からある程度の感情は類推できるかもしれない。でも、それ以上は分からない。共感ができない。そんなのって、孤独という言葉に収まらない気持ちになると思う。

アウラたちに何があったのか、誰にも分からない。それに彼は伝えたいとは思っていないのかもしれない。

でも、もし伝えたいと思っていたなら?

伝えないと魂の行き場がなくなるという宗教を持っているのだとしたら?

死の際にはある儀式をしないといけないという文化を持っているのだとしたら?

それすらも分からないけど、もしそうだとしたら、アウラは彼の信念を貫けないことになるのではないか。それは肉体の苦しみよりも辛いことなのではないか。

 

わからないけど。

 

言葉の外側で生きざるをえないというのは、外界の全ての刺激をフィルターなしで受けるということなんじゃないかと思う。言葉を使うことは物事に輪郭をつけるということ。だから、その範囲内において人は理解することができて、精神が破綻しないで済んでいると思う。

でも、言葉がなければ輪郭をつけずに物事と向かい合わないといけない。こんな恐ろしいことってある?

言葉を持っていても、それを共有できる人がいなければ、その言葉を信頼できなくなって来るんじゃないだろうか。だから、アウラは自分の言葉で話し続けてるんじゃないだろうか。

分からないけど。

学振の申請書

年末だからね、大掃除をしていたら、学振の申請書が出てきたよ。ことしの4月頃かな、めっちゃ苦しんだのを覚えている。

申請書の作成にあたって、まあこんなルートを辿る人はあんまいないだろうなーと思うのだけど、自分のときに情報が少なくて困ったのを覚えているので、いつか他の誰かの役に立てばいいなーという気持ちで書きます。

 

学振申請に到るまで

通信の大学院に通っていたときに学振DC1に応募しました。

結果からいうと不採用。

でも申請書を書いたおかげで得るものも沢山あったし、

その結果として、自分の人生の優先順位もつけられました(後述)。

 

私の経歴としては、3年半会社勤め→転職と同時に通信の修士課程に進学というルート。

なぜ学部卒業後すぐに院に行かなかったかと言うと、単純にお金がなかったから。

そもそも大学の学費&生活費を稼ぐためにバイトをピークで4つ掛け持ちしている状態で、実家のためにもすぐ働かなければならなかったのだ。

あとは、文系で院卒は将来が怖いなというのと、就職も希望業界に決まったので、まあそのときは積極的に院に行く理由がなかったわけです。

とはいえもし環境が整っていれば研究はしたかった。

ので、研究欲を抱えながら社会人になり、わりとブラックな職場環境で体を壊し、

4年目にして定時で帰れる仕事に転職し、社会人大学生をするという選択をすることしました。

通信にしたのは、やはりお金がなかったから。笑

 

通信制の大学院は、月一しか研究指導がない。

私は指導教員以外に学部のときの先生にも見てもらっていたのでなんとかなったけど、それでも研究手法(統計とか方法論)は自分で学ばないといけないので結構しんどい。

ほんとに研究やりたいなーって思ったら、通信では難しいかなって思った。

しかしもうこの歳で借金重ねたくない。じゃあどうするか。学振しかない。←

研究者になりたいという人はそもそも通信には行かない人が多いため、学振の情報も一切入ってこない。まあ私が悪いんだけど。

そんなわけで、締め切りまで1ヶ月を切っている状態で、結構な長さの申請書に取り掛かりました。

(学振の情報については大学のHPにもどこにも情報がなく、問い合わせて2件たらい回しされてようやく担当につながりました。笑)

 

指導教員の評価書

まず最初の壁は指導教員の評価書。笑

先生がこのような書類を書いたことがないうえ、1ヶ月前でのお願いだったのでかなり怒られた。

もうね、平謝りして書いてもらいました。人によっては、自分で下書きしたのを指導教員に渡して直してもらったものを提出するらしいよ。

 

申請書

申請書には研究状況や研究計画を書くのだけど、これは正直修論が半分以上は進んでいる人でないと書けないと思います。

もちろん私はそんなに進んでなかったので、毎晩活蔘(栄養ドリンク)を飲み、仕事の合間に練り、九大の院に進んだ友人にアドバイスをもらい、学部の時の先生に毎日指導してもらい、なんとか書きました。

申請書は絶対人に見てもらった方がいい。で、できるだけ辛口のコメントをもらった方がいい。

私は友人と先生の助けがなければ書けなかった。感謝しかないです。

ネットには、親切にも申請書を公開してくれている人がいるので、その人たちのもとても参考にした。

私のは落ちてしまったものなのでとても公開はできないが、参考程度にはなると思うので、興味がある人には公開しようかな(とても見せられるものではないけど、文系の申請書はあんまり探せなかったので…)。

 

私のテーマは社会学・心理学・情報学にまたがっているものなので、うまくまとめられればよかったんだろうけど、結局どっちつかずのものになってしまったのがよくなかった。また、短時間で書いたものは今読んでもやっぱり掘り下げ方が甘いなと思う。

あと実績0で出しているので、そりゃ不採用だよなと思う。

社会人経験があることは、研究の社会的意義や自己PR欄みたいな部分を書くときには活きてきたけど、核となる研究テーマの部分の記述は、やっぱりがっつり研究に取り組んでいないと書ききれないと思う。

 

学振を狙うなら

もし今から学振狙う人は、M1のときから学振を目指して研究に励んでください。少なくとも申請書に書けるくらいは進めておかないといけない。そしてどんどん学会発表しましょう。あと、先輩や先生とのつながりは大切にしておきましょう。孤立無援で書ける書類ではない!

 

申請書を書き上げて

約1ヶ月苦しみながら書類を書き上げたわけなんだけど、これ書くと博士課程のテーマも自ずと決まってくる。

私みたいにあんまり進んでない人は、否が応でも研究が前進すると思う。

 

学振当たれば月20万だよ!

もしかしたら3年間月20万もらえるかもしれないんですよ。死ぬ気でトライする価値はあると思う。

私は仕事を辞めて研究に専念したい一心で書き切った。

でもそのおかげで、自分の原問題を見つめなおしたり、博士で調査を行うためにどこまで研究を進めなければいけないのかとか、いろんなことを整理することができた。書いてよかったよ。

不採用を受け取って

やー、わかってたけど凹む。なんか、お前の研究は社会的に価値がないぜって言われた気分になる。落ちるのわかってても、不採用って言葉はちょっときついね。

あと、ショックと同時に思うのは、「自腹で博士進んだら3年間で250万かー」ということ。28にもなって結婚までして250万払って研究すべきか?と考えたら、かなり悩む。もはや起業した方がいいんじゃないだろうか。

悶々と考えた末にね、博士進学は先延ばしにして、仕事しながら研究は個人的に続けたらいいじゃんって思ったら、一気に気が楽になった。

 

さらにこんなことを思った。

「あ、やった子ども産める」

自分でも意外だったけど、博士を諦めて最初に浮かんできたのは、そのことだった。

私ってこんなにも子ども欲しかったんだということに気づけた。

実は博士進学後のキャリアを考えたら、子どもをいつ持てるかという見通しが全く立たなかった。下手すると産むタイミングを逃していたかもしれない。

今までは博士に行ってしっかり研究するんだーという気持ちでいっぱいいっぱいだったけど、学振不採用という結果がそこに穴を空けてくれたおかげで、心の奥底で考えていたことに気づくことができた。

 

もし学振に出さなければ、マスターのときと同じく社会人大学院生を継続する道を選んでいたと思う。

で、ドクターに行ったときに、ほんとは今子ども産みたかったな、とか思っていたかもしれない。学振の申請書に一生懸命取り組んで、その結果不採用だったことが、私にとっては幸いだったように思えます。

学振、めーっちゃ書くこと多いし大変だったけど、出してよかったです。

 

まとめ

・準備は1月から。実績はその前にガンガン作るべし。

・申請書はわかりやすく、読みやすく。太字や斜線などの効果は、本当に必要な部分だけに限るべし。

・絶対人に見せること。そして辛辣な意見を積極的に求めること。

・学振は落ちるもの。学振に落ちても研究を否定されたわけではない

・博士行くことを迷っている人ほど、学振に応募すべき。

 

理系は個人で研究するのって難しいのかなと思うけど、文系だとそこまで大変なことではないです。

学術とのつながりを作れたことや、研究を見てくれる人に出会えたことは、すごく大きな財産になっています。研究者の職にこだわらないほうが、楽しく研究できるかもしれません。

 

*ちなみに指導教員、学部の時の先生、九大の友達も学振は取っていない。それくらい学振は難しいものなのだ。落ちた時はやっぱり凹むけど。

*学部の先生は「俺だって研究費取れる研究できるまで時間かかったよ」って言ってました。

*ちなみに指導教員は週の半分以上国内外を飛び回っていて、外部との仕事も多かったので、学振の指導は望めなかった。指導教員との相性もあるが、通信の場合、密に指導してもらえるかどうかは入学前にきちんと調べた方がいい。

*社会人大学(院)生は想像より大変でした。笑 でも今となってはいい経験。

*正直文系のポストは減ってきているし、大学側も産官学連携を推進してきている。

社会人を経て研究者を目指すルートもあるよって、けっこう色んな人が言っています。

 

研究と人格

やほい。ようやくカンピロバクターから回復しました。

長い戦いだった。ここ数日は生産性のない時間を過ごしたよ。

厳密にいうとコロリしか生まない時間だった。もう2度と鶏肉なんて食べない。

 

とまあ回復したので、きょうね、研究仲間と忘年会してきたんです。

初めて会う他大学の先生や院生がいて、楽しいは楽しいんだけど、

なんだろう、やっぱり研究してる人って変な人多いよね。笑

1人で40分間話し続ける人とかね。なんか話しているそばからガンガン自分の話するとかね。ひたすら人の話を否定する人とかね。笑 特定の人物批判するとかね。

プライベートでは仲良くなれる気がしない。笑

研究の話をしているときはそうでもないし、むしろ彼らの研究はすごいなあと心から思うのだけど、だからこそ不思議。なんでこんないい研究する人たちが、こんな性格なんだろう。

人となりは好きになれそうにないけど、彼らの研究は大好き。

うん、自分の中で折り合いがつかずに混乱している。

理系ならわかるんだよ、昆虫についてはすごいけど人格破綻してるとかでも。いるじゃんそういう人。

なんで文系、しかも医療福祉系の人たちの性格がこんなことになっているのかしら。

医療福祉の人は人格者だろうみたいなバイアスがいけないのはわかってるんだけど、でもやっぱり私の中で折り合いがつかないんだよな。うーん。

とりあえず寝よう、寝て解釈しよう。

 

腸内戦争の勃発

この度(おそらく)カンピロバクターに感染しました。

いつ終わるとも分からぬこの戦い(下痢)をここに記録しておきます。

 

 

戦いの前兆

いつもは10時くらいに、ウンコロリ(以下コロリ)が合図を送ってくるのだが、その日は違った。起床してトイレに行くと、なんだかやばいオーラを下腹部から感じた。とはいえ、朝はギリギリに起きているため踏ん張る時間がなく、気にしないふりをして家を出た。

 

腸内戦争1日目

職場までの電車は、違和感はあるものの何事もなく乗れた。

タイムカードを切ると、すぐにトイレに駆け込んだ。

 

バタン。

…これは。

いつものコロリではなく、雨の日の運動場のような状態なコロリであった。

なにか悪いもんでも食ったかと逡巡するも、思い浮かばない。なんだろう。そもそも私は鋼の胃袋をもっているため、賞味期限1ヶ月前のヨーグルトでも平気で食べられる人間なのだ。そう簡単にお腹を下すはずがない。寒いから寝冷えしたのだろうか。

不思議に思いつつ業務に取り掛かるも、2時間おきに腸が合図を送る。そしてやはり、雨の日の運動場のようなコロリがでる。夕方にはもうお尻が限界を迎えていた。

夜は研究仲間と2丁目へ飲みに行く。そのときにはコロリが収まっていた。

 

腸内戦争2日目

翌朝。コロリからの合図で目が覚める。

トイレに駆け込むと、台風の後の運動場のような状態である。もはや液体である。

職場へ向かうべく電車に乗るも、1波だけにとどまらず第2波、第3波と、コロリが攻めの姿勢を見せる。一度は社会的な死を覚悟した。

職場に到着しトイレに駆け込むと、ノータイムでコロリが姿を見せる。なんとなく1発目はオナラちゃんだと思っていたため、驚く。さらに今回は昨日と違って腹痛が激しい。液体度も高い。これはなんらかの食中毒に違いない。ようやく我が鋼の胃袋の負けを認める。しかし、一体何の食中毒だろうか。スマホを手に取るも、朦朧とする意識の中では文字を打つことすらままならない。

私はかつて行ったペルーで毎日お腹を下していた日々を思い出した。そうよ、いかに鋼の胃袋とはいえ、未体験の菌には敵わないのだ。思い出せ、長距離バスの中で、押し寄せる便意を押さえ込んだあのときを。

そうやって10分もすると冷や汗も止まり、なんとか持ち場へ戻ることができた。

しかし我がお腸様は、「油断するなよ」とメッセージを送ってくる。果たしてその言葉通り、1時間おきに便意が襲ってきた。体も熱いが、職場の暖房が効きすぎているせいなのか、コロリと戦っているからなのかわからない。きょうを乗り切れば明日は土日だから、と自分を慰めながら、なんとか業務をこなす。

17時半、定時きっかりに職場を出るも、駅までの10分の間にコロリが攻めてくる。駅のトイレに寄り、一時しのぎに成功する。

電車に乗ると、再びコロリの襲来が。意識をお尻に集中させ、最大級のガードを張る。この一進一退の攻防は約30分続き、なんとか自宅の最寄り駅まで持ちこたえることができた。

駅のトイレで小戦を交わし、帰宅。光の速さでトイレに駆け込む。そのときにはもはや膀胱からなのか尻からなのか分からないような状態のものが出ている。約30分、地獄のような戦いは続き、辛くも勝利を納めた。

急いで風呂に入り、ベッドに直行する。熱を測ると37度4分。体が熱いのも当然である。

 

腸内戦争の原因

ベッドに横たわると少しだけ余裕が生まれた。グーグル先生で、発熱、腹痛、下痢、と検索すると「感染性腸炎」と出てきた。日本大腸肛門病学会のホームページを開くと、サルモネラ腸炎ビブリオ、そしてカンピロバクターという言葉が出てくる。

カンピロバクター

カンピロバクター腸炎ではこの10日間に生の鶏や生レバーを食べていませんか、などと具体的に聞かないと情報を引き出せないことが多い。」ー日本大腸肛門病学会HPより引用

そいえば私4日前に鳥刺し食ったわ。

「症状は下痢、腹痛、発熱、悪心、嘔吐、頭痛、悪寒、倦怠感などであり、他の感染型細菌性食中毒と酷似していますが、カンピロバクターは1日最高便回数が多く、血便を伴う比率も高いことが特徴です。発熱を伴うことが多く、改善病日でみるとカンピロバクターサルモネラと比較して早く回復します。」ー感染症予防接種ナビHPより引用

これ私じゃねーか。多分これだ。カンピロバクターだ。

だいたいの場合は自然治癒するってことは、病院行ってもカンピロさんですねーって言われて終わりってパターンだよね多分。

となると、この週末を使って治すしかない。

もう動く気力がなかったので、夫にポカリとゼリーを買ってきてもらえるようLINEする。すると、わかったーという可愛いスタンプがきた。癒される。

私はLINEを送ってそのまま寝落ちしたのだが、悲劇はそのあとに起こった。

 

共倒れ

夫が帰宅した音が聞こえたので、若干の腹痛とともに目を覚ますと、夫はううう〜と呻きながらトイレに駆け込むではないか。

まさか。

私は痛みが強くなる腹を抱えつつ、最悪の事態を想定する。

そう、鳥刺しを食べたのは私だけだったが、焼き鳥屋さんへは夫と行ったのだ。

 

まとめ

あれから約1日、夫とはトイレの争奪戦を繰り広げております。

鳥刺しはね、美味しいけどね、危険です。

 

なんで夫婦別姓だとだめなのかしら

 

私は事実婚をしています。今のところ。

でも来年には籍を入れようかなーと思っています。どちらの名字に変更するか夫婦でプレゼンをした結果、私の名字を使用することになりました。

でも本当はね、夫婦別姓がいいと思うのですよ。

 

 

名字が変わることのデメリット

まず、手続きが面倒。

私は両親が離婚したため20歳くらいのときに名字を変更しましたが、もうね、面倒の一言に尽きる。学生だったからまだいいけど、働いていたら本当に大変だったと思う。

うちは父親の名字を名乗っていたため、離婚すると母だけが父の戸籍から離れる形になるため、子の名字は父のままになる。でも私は母の名字に変えたかった。ではどうするかというと、家庭裁判所に行って、母の戸籍に入りますーという書類を提出する必要があるのです。まーこれが面倒なんだ。

めでたく名字が変わったら、パスポートの氏名変更、銀行、奨学金、大学、バイト、クレジットカード、Amazon楽天の登録情報変更、etc...。

やることはたくさんあります。一気に全部変えるのは無理だから、銀行とかカード会社の連絡だけ優先して、その都度変更したのも多かった。いまだに変わってないのも実はあるんじゃないだろうか。

次に、人に聞かれる。

まだ学生だったからいいけど、「結婚したの?」とか聞かれまくる。いや親の離婚ですっていうと、「あ、なんかごめん」って言われるし。こっちはそんなに気にしてないんだよ!笑 勝手に聞いて勝手に気まずくなるのやめろ。笑

 

なぜ夫婦別姓がいいのか

もうね、上記2つのデメリットが解消されることに尽きる。時間と手間と心理的負担の削減ですよ。

夫婦別姓だと、家族の一体感が損なわれるという旧時代的な意見があるようですが、名字が同じでも離婚する家は離婚するからね。笑

あとは、私みたいに1度名字を変更した人がさらに名字を変更した場合、最初の名字には戻れなくなる。今の名字がB、以前の名字がA、夫の名字がCだとした場合、私が夫の名字に変更したら、2度とAの名字に戻すことはできなくなる。戻すつもりはないんだけどさ、将来戻したくなるかもしれないじゃんね。

もうひとつは、今の名前でキャリアを積んでいる場合それがチャラになるおそれがある。例えば論文を書いている人なんて、名前で検索されるわけだから、名字変わっちゃうと過去の論文が別人が書いたように見られちゃう可能性だってあるわけだよね。旧姓を使用すればいいかもしれないけど、国際論文だとそうもいかないこともあるわけだしさ。

 

それでもなぜ籍を入れることにしたのか

まず、事実婚状態だと保険金の受け取り人を変更できなかったことが1点目。

次に、私が入院することになったとき、夫ではサインができなかったことが2点目。

実は結婚契約書なるものも作成していたんだけど、あまり有効に機能しなかった。会社や病院によるのかもしれんが。なんかねー、夫婦別姓を貫き通すつもりだったけど、そのせいで、いざというとき力になれないのは悲しいなあってお互いに思ったんだよね。

まあ夫婦別姓が認められていれば、こんな思いもしなくて済んだわけだけど。

結婚契約書ってさ、婚姻届を出せば1枚で済む手続きを、ひとつひとつ明文化したものなんだよね。財産権とか、扶養義務とか、親権とか、いろんな義務や権利や保障を。

ふつーに婚姻届を出せば済むものを、手間と時間とお金をかけて作っているわけだ。事実婚なんて覚悟がないやつがすることだとかいう奴もいるけど、事実婚だってよっぽどの覚悟をもっていると思うけどなあ。

それでも、結婚契約書あるいは結婚証明書では、夫婦であることの証明は十分にできないのが今の日本なのです。

 

夫が名字を変えるということ

女性側が結婚したよ〜、あるいはするよ〜というと、必ず聞かれるのが「名字どうなるの?」です。その度に、変わりませんというのだけど。そうすると返ってくるのがこんな反応。

「え、婿養子?」→婿養子なんて制度はない。

「え、それでいいの?」→いいもなにも、夫が苗字変えることの何が悪いんだ。

「親に何か言われない?」→多少は気を遣うけど、お互いの両親納得済みです。

「旦那さん怒らない?」→怒らないし、なんで怒ると思うんだ。

とまあ、一例ですがこういうやり取りになります。男女関係なく、こういうことを聞かれます。なんか、女の方が下として見られてる感覚になるんだよなあ。

一方で、夫の方は、結婚を周りに伝えることでこういったことは聞かれないそう。そもそも名字どうなるのなんてことを聞かれたことがないそうです。

そのかわり、大黒柱として頑張らないとなーとか、結婚は墓場だぞーみたいなことは言われるようです。墓場って!

夫は、本当は女に生まれたかったと思ってる人なので、そういうことを言われるたびに、ちょっとだけイラっとするそう。俺だって子供産みたかったなーとモヤモヤしたり、男だと家族を盾に頑張りを強要されるのが嫌だなーと思ったりするんだってさ。

 

まとめ

結婚って、男女の性役割を図らずも強化する役割を果たしてるのかもしれないと思ってしまった。夫婦別姓を認めることで、そういうのが少しでも和らぐんじゃないのかしら。

 

いらっとしたよね

アラサーなんですよ、わたし。

いま超絶ホワイトな第3セクターで働いてるんですけどね、

最近職場のおっさんってかじいさん?比較的距離感の近い爺さんに言われて腹立ったことがあってさ。

 

爺「にょっぴさんは、契約更新するの?」

に「するかもしれませんが、転職も考えてますね」

爺「え、こんなホワイト辞めて?」

に「そうですね。給料はいいんですけど、キャリアアップも考えたいですし、大学院の勉強もそろそろ実践に生かせる仕事に移ろうと思っています。なんなら地元に帰って仕事探すかもしれません」

爺「やー、最近Hくんも転職しちゃったけどさ、こんないいところないよ?定時で帰れてボーナスも出て休みも自由に取れる環境なんてないんだから。それに地方なんて給料安いしさあ」

に「(ほんとにそれはそうだがこの組織の給料は税金から出てるし、お前が隙あらばYahoo!ニュース見てるの知ってるからな。地方の給料安いっていうんだったらお前みたいな再雇用の人件費を減らして、地方企業の支援に回せばいいんじゃないのか)

まあHくんも若かったし挑戦したかったんじゃないですか?」

爺「や、Hくんはそうかもしれないけどさ〜、にょっぴさんは若くもないんだからさ〜」

 

(若くもない。若くもないだと。いや、それはそうかもしれんが少なくともお前よりは若いぞこら)

 

爺「大学院いってるんでしょ?でもほら、文系でしょ?文系は仕事ないって聞くし、女性で学歴持っててももったいないでしょう」「地元に戻ったら、ご主人はどうするの。まさか置いて行ったらかわいそうでしょう」「民間なんて残業があってブラックなんだから、留まっておきなさいよ」

 

(うっせーよくそ。お前就業時間中に休憩室に呼び出しておいてお茶すすりながら言うことがそれかよ。っていうか高卒、しかもその世代の元公務員に研究の何がわかるんだよ。文系は仕事ないかもしれんが、研究もしたことないお前がそんなこと言うな。

女性に学歴がもったいないとかいつの時代だよ。お前の娘がかわいそうだ。

地元戻るならしばらくは別居婚するよ。すでに話はしてるんじゃ。っていうか夫は私の主人じゃないわ。その古い結婚観やめろ。

地元の給料低いのわかってるからそれを変えようと勉強したり資格取ったりしてるんだろうが。

民間はここと比べたらライフワークバランスが崩れるかもしれんが、全てがそうじゃないし、民間で働いたことのないやつが言うなよ。自分を活かすための仕事に、公務員民間関係ないわ。)

とまあ、いらいらが積もり積もってきた。

大学院に行ってなければ、ワークライフバランス以外いい部分がないこんな場所、さっさと転職してるわ。

リクルーターの誘い断ってここにいるんじゃ。バックグラウンドも知らずに偉そうに語るなこんちきしょー。

言ってやる、言ってやるぞこいつに。

 

に「そうですねー、考え直してみます」

ああ、私のチキン野郎。

爺「ま、そういうことでね、もう若くないんだからね、ここにいた方がいいと思うよ」

 

そういうと爺さんは満足そうに湯呑みを置いて部屋を出るのであった。

おいなんだその湯呑みは。私が片付けるのかこの野郎。洗ったけど。

 

この爺さんはね、昭和の価値観に基づく善意で言ったんだろうと思います。平成も終わろうというのに。

でもこの爺さんは、私が事実婚であることを知らない。夫がAセクシャルで、私がFtMであることも知らない。福祉の研究をしているのも知らない。貧困を無くしたいと思っていることも知らない。ボランティアしていることも知らない。何も知らないくせにな。若くない、女だから一言で私の可能性を潰そうとしている。挑戦していない人が、挑戦する人を笑おうとしている。そんな侮辱あるかい。と悶々とした金曜日でした。

今回たまたま身近にいたけど、そんなご老人は世の中に溢れているのだろうな。

悶々タイムは終わったので、修士論文に取り掛かろうと思います。